2021年の9月24日に,「幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門」を初めて手に取りました。年末までこの本をやってみて(ACTに限らず,セルフヘルプ本は「読む」というより「やる」に近いです。人生で最初にやったセルフヘルプ本は,「いやな気分よさようなら」でした)得た私なりの体験と,ACTが提供しようとしていることへの理解,そしてまだ分からないことを書いてみます。
なお,私はACTについて系統的に学んだことはありません。また,ACTに基づいたセラピーを私が提供するものでもありませんし,私のようにこの本をやってみることをお勧めするものでもありません。
やってみて
ACTが目指すのは,厄介な思考や感情を「なくす」のではなく,「あるけれど振り回されない」になることなのだろう。「厄介な思考や感情がある→悪影響」なので,それらをなんとかなくそうとするのが人の性。だけど,その道は悪循環につながっている。これに対して,ACTでは,厄介な思考や感情があっても,その悪影響が少なくなるように,という道を示唆する。これは簡単には思いつかないが,言われてみると「それできたらいいかも」と感じた。
厄介な思考に振り回され「ない」と記されているけれど,「しない」は行動じゃないので,行動としての言い方にしてみると,厄介な思考があっても,それをすり抜けたり,かわしたりすることができる。そして,やるべきこと,やりたいことの方をする。
「目の前のことをしなよ,やるべきことに集中しなよ」は,気がかりに振り回されている人にまわりがかける定番のセリフ。気がかりの多くは幻影で,時間とともに去る。だから,それに振り回されても詮無いことだと頭に入っていれば,振り回されにくくなるかもしれない。
脱フュージョンの方法のひとつで出てくる「私は○○の思考を持っている」は,英語なら「I think that ○○」と,思考の前にI thinkをつければいいだけだから,簡単だろう。日本語ではちょっとちがう。
マインドが語りかけてくる「声」を変える,辛いイメージをビデオクリップにしていろいろ遊んでみるなどのやり方は,厄介なcovertな事象の何らかの属性を変えることで,その事象が生起したときの体験自体を変えてしまうのではないか。
自分の場合は,思考に題名をつけるのがやりやすい。マインドが語るストーリーに対し,「要するに何の話?」と自問してみればいい。また,「マインド君,ありがとう」が自分にはやりやすいセリフであることがわかった。作業中にスマホ見たくなる衝動も「マインド君,ありがとう」の対象にしてみるか。
先延ばしには回避行動の側面がある。これは「拡張」の対象では。
CBTのセルフヘルプ本よろしく,ネガティブな体験はエクササイズの好機と位置づける。エクササイズ=練習試合。AcceptanceというよりもAcceptingで,何度でも受容すること。
読み進めてエクササイズに取り組むことへの抵抗が出てきたら,脱フュージョンで対応して先に進みましょう(だから最初に脱フュージョンを教えておくのか)。
脱フュージョンを身に着けていくと,回避的な衝動や不安に振り回されにくくなる。ある方向に進むことを押し戻していた,あの嫌な感じをくぐり抜けやすくなる。
こうやって振り返ってみると,自分は脱フュージョンに関しては思うところがたくさんあったようだ。一方で,「接続」だったり,「価値」に関しては手薄だ。
ACTのエッセンスこうやろ? 暫定的な結論
日常語版:自分にとって本当に大切なことをはっきりさせ,それに向かって歩み続けよう。その歩みを妨げるものの力を弱め,呼び声を擦り抜けよう。そして生活の幅を取り戻そう。
もうちょっとかっちり版:言語がもたらす確立操作や,言語がもたらす弁別刺激の力を弱め,それ以外の確立操作や弁別刺激で行動が制御されるように持ち込んでいるように見える。言語がもたらす,回避的な機能,行動を下げる。接続は言語以外の刺激に接触し,それによって制御される機会を増やすことなんだろうか。
まだわからないこと
思考のうち,どれが厄介な物語なのかを見分けないといけない。それができて初めて,脱フュージョンできるのでは。
どうやっても言語が間に割り込んでくるから,体験そのものに触れるのは不可能じゃないのかな。
「集中力がさまよいだしたら,その瞬間にそれを認める」。マインドフルネス系のセラピーでよく出てくるけど,「認める」って具体的にどうやるの?
やってみた本
ラス・ハリス (2015). 幸福になりたいなら幸福になろうとしてはいけない: マインドフルネスから生まれた心理療法ACT入門 筑摩書房
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